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被爆地広島 地元紙の原爆平和記事

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  • 戦後80年 広島不屈のモノ語り <4> お好みソース

    25年8月1日 連載・特集

    知恵と工夫の名脇役 被爆越えた人々 伝統守る  どろっとした食感と香ばしい匂いで、お好み焼きの風味を引き立てる。広島のソウルフードに欠かせないお好みソース。鉄板の名脇役には、原爆の惨禍を越え、新たな食文化を生み出した人々の知恵と工夫が詰まっている。  80年前のあの日。オタフクグループ(広島市西区)最高顧問の佐々木尉文(やすふみ)さん(85)は今の西区横川町にいた。当時6歳。オタフク...

  • 25年8月1日 連載・特集

    緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎⑥

     白髪を短く刈った祖父は目鼻立ちがくっきりして、若い頃は美男だったかもしれない。  祖父の難聴が仕事が原因だったのは、今回、実家を整理してでてきた古い書類で確...

  • 25年7月31日 連載・特集

    基地負担の現在地 普天間と岩国 <下> 「返還」の現状

    日米合意29年 見えぬ道筋  沖縄県宜野湾市の嘉数(かかず)の丘に上った。展望台から市域のど真ん中にある米軍普天間飛行場が見渡せる。「世界一危険」といわれ...

  • 25年7月30日 連載・特集

    基地負担の現在地 普天間と岩国 <上> 自治体の姿勢

     ともに大規模な米軍基地を抱える岩国市と沖縄県宜野湾市が今月、姉妹都市提携を結んだ。普天間飛行場(宜野湾市)の負担の一部を岩国市が受け入れたのが契機となった。岩...

  • 25年7月30日 連載・特集

    緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎⑤

     昭和20年8月、広島と長崎で被爆したとあいまいに伝えられてきた祖父が、実際にはどんな足取りをたどったのか、結局はわからない。  ただ、祖父が広島に原爆が投下...

  • 25年7月29日 連載・特集

    緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎④

     三菱重工業が、江波地区で広島造船所の操業を開始したのは昭和19(1944)年3月。同時に観音地区では「広島機械製作所」の操業も始めている。  祖父が同じ年の...

  • 25年7月28日 連載・特集

    自利利他 我も他も全て良し 梵大英 <65> 思いはせる8月6日

    大切に納められた法名  先日のことだ。ご門徒さんが自宅をリフォームされ、お仏壇を新調することとなり、今までのお仏壇への感謝の法要をお勤めすることとなった。...

  • 『論』 戦後80年 原爆と日本映画 新藤監督の願い 引き継ごう

    25年8月1日 社説・コラム

    ■特別論説委員 岩崎誠  戦後80年の今、原爆や核兵器を扱った映画を指折り数えると相当な数になる。人類を破滅させかねない大量破壊兵器の脅威、核被害の悲惨さと被爆者たちの苦しみ…。世界の映画界が重要なテーマとしてきたのは確かだ。日本の「原爆映画」はどのように生まれ、何を訴えてきたのか。今から何ができるか。広島出身で原水爆を告発した新藤兼人監督(1912~2012年)の作品を軸に考える。 ...

  • 25年8月1日 社説・コラム

    社説 被爆80年 記憶を受け継ぐ 掘り起こしと発信 多様に

     被爆地広島にとって核被害の実情を後世に伝えていくことは、人類が過ちを繰り返さないための大きな課題である。歳月とともに被爆者が少なくなる中、私たちに何ができるの...

  • 25年7月28日 社説・コラム

    社説 日米、有事で核使用議論 核なき世界に逆行許されぬ

     有事を想定した日米両政府のシミュレーション(机上演習)で、核兵器を米軍が使うシナリオを議論していたことが分かった。  日本による米国の核への依存は新たな段階...

  • 25年7月28日 社説・コラム

    天風録 『被爆10年の広島で』

     勤め先の昼休みの時間だろう。ワンピースを同僚が縫い上げ、手伝った主人公も一緒に喜ぶ。漫画「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」の冒頭の場面だ。舞台は被爆10年後の広...

  • 25年7月27日 社説・コラム

    社説 被爆80年 資料の保存・継承 守り生かすネットワークを

     被爆80年を迎え、広島と長崎で惨禍を目の当たりにした人たちから直接、話を聞くのはさらに難しくなろう。  被爆地から立ち上がった人たちが何を語り継いだか。核廃...

  • 25年7月26日 社説・コラム

    社説 被爆80年 核廃絶遠のく世界 きのこ雲の下の現実を見よ

     米軍による広島、長崎への原爆投下から間もなく80年の節目を迎える。被爆地が訴え続けてきた「核兵器のない世界」は、遠のいたようにさえ見える。人類は一体、何を学ん...

  • 25年7月23日 社説・コラム

    天風録 『小さな一歩』

     月の石を大阪・関西万博の米国館で見た。55年前の前回万博で披露されたのとは違う石らしい。そこで考えてみる。これまで人類は月から幾つの石を持ち帰ったのかと。星の...

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  • 被爆80年企画 ヒロシマドキュメント -記録と記憶から伝える-
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  • デジタルストーリーテリング
  • 広島の空白-街並み再現-
  • 被爆前の広島
  • まんが 被爆地の新聞社
  • 被爆75年プロジェクト 原爆ドームの3Dデータ
  • 1945 原爆と中国新聞
  • ヒロシマの空白 被爆75年
  • 平和記念公園を歩く

証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 中川峰子さん―弟のむごい死 見届ける
『記憶を受け継ぐ』 原田敬二さんー幼さ残る女学生「水を」
『記憶を受け継ぐ』 清水弘士さんー「空白の10年」伝える
『記憶を受け継ぐ』 本谷量治さん―「生き残った」苦悩抱える
『記憶を受け継ぐ』 金花子さん―負った「二重の苦しみ」
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ジュニアライター発信

中国新聞ジュニアライターの中高生

[ジュニアライターがゆく] 被爆80年の平和記念式典へ 一人一人の人生 想像しながら

原爆死没者名簿 記帳担い25年目の中本さん  広島に原爆が投下された8月6日が近づいてきました。当日は広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が営まれ、参列者や市民があの日の惨禍(さんか)を胸(むね)に刻(きざ)み、核兵器も戦争もない世界を願います。式典では新たに編まれた原爆死没者名簿(しぼつしゃめいぼ)が原爆慰霊碑に納められ、こども代表が「平和への誓(ちか)い」を読み上げます。被爆80年の節

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動画で平和発信

ノーベル委員会・フリードネス委員長のビデオメッセージ

国際シンポジウム「未来への記憶の遺産―原爆資料をどう継承するか」(2025年7月19日、広島市中区)で上映...

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遺品 無言の証人

中国軍管区司令部で被爆した八木さんの革脚絆=1973年、八木実さん寄贈(撮影・山田尚弘)

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学ぼうヒロシマ
平和学習新聞

2022年度改訂版