被爆地広島 地元紙の原爆平和記事
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被爆80年託す想い 梅澤妙子さん 43歳でがん 胎内被爆意識 反核の声 歌で広げたい
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25年8月1日 ニュース
[被爆80年] 時を超え「遺影は語る」 旧中島本町 被爆死の2人 長姉の孫が写真寄せる
31日に公開した「遺影は語る」の特設サイトに、四半世紀前の新聞連載になかった2人の写真が加わった。当時取材を受けた遺族の姉たちが紙面への掲載を断ったが、代替わ...
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25年8月1日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 1946年] 8月1日 広島初の原爆手記集
1946年8月1日。広島初の原爆手記集「泉 みたまの前に捧(ささ)ぐる」が発行された。亡くなった広島一中(現広島市中区の国泰寺高)の35学級(3年5組)の生徒...
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25年8月1日 ニュース
核廃絶・平和願う灯 広島で120人「強い思い伝える」
被爆80年の原爆の日を前に、ろうそくに火をともし核兵器廃絶を願う「ヒロシマ平和の灯(ともしび)のつどい」が31日夜、広島市中区の平和記念公園であった。市民や外...
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25年8月1日 ニュース
[被爆80年] 89歳 半生明かす決意 「原爆の子」に作文寄せた広島の河田さん
原爆で父・姉失い「こんなもんが世の中にあっちゃいけん」 原爆で父と姉を失った広島市佐伯区の河田洋二さん(89)が今夏、自らの体験を中国新聞の取材に初めて...
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25年8月1日 ニュース
近づく8・6 市民一斉清掃 平和公園
原爆の日を前に、広島市の平和記念式典の会場となる中区の平和記念公園一帯で31日、一斉清掃があった=写真。市民や市職員たち約2千人がボランティアで参加した。 ...
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25年8月1日 ニュース
[被爆80年] 90歳被爆者 決意の初証言 廿日市の宮田さん 地元児童らに 伝えたい思い 年々強く
終戦直後に広島に入り、入市被爆した宮田英子さん(90)が31日、入所する廿日市市原の特別養護老人ホーム清鈴園で自身の体験を伝えた。これまでほとんど人前で話して...
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被爆80年託す想い 梅澤妙子さん 43歳でがん 胎内被爆意識 反核の声 歌で広げたい
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25年8月1日 ニュース
[被爆80年] 時を超え「遺影は語る」 旧中島本町 被爆死の2人 長姉の孫が写真寄せる
31日に公開した「遺影は語る」の特設サイトに、四半世紀前の新聞連載になかった2人の写真が加わった。当時取材を受けた遺族の姉たちが紙面への掲載を断ったが、代替わ...
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25年8月1日 ニュース
[ヒロシマドキュメント 1946年] 8月1日 広島初の原爆手記集
1946年8月1日。広島初の原爆手記集「泉 みたまの前に捧(ささ)ぐる」が発行された。亡くなった広島一中(現広島市中区の国泰寺高)の35学級(3年5組)の生徒...
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25年8月1日 ニュース
核廃絶・平和願う灯 広島で120人「強い思い伝える」
被爆80年の原爆の日を前に、ろうそくに火をともし核兵器廃絶を願う「ヒロシマ平和の灯(ともしび)のつどい」が31日夜、広島市中区の平和記念公園であった。市民や外...
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25年8月1日 ニュース
[被爆80年] 89歳 半生明かす決意 「原爆の子」に作文寄せた広島の河田さん
原爆で父・姉失い「こんなもんが世の中にあっちゃいけん」 原爆で父と姉を失った広島市佐伯区の河田洋二さん(89)が今夏、自らの体験を中国新聞の取材に初めて...
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25年8月1日 ニュース
近づく8・6 市民一斉清掃 平和公園
原爆の日を前に、広島市の平和記念式典の会場となる中区の平和記念公園一帯で31日、一斉清掃があった=写真。市民や市職員たち約2千人がボランティアで参加した。 ...
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25年8月1日 ニュース
[被爆80年] 90歳被爆者 決意の初証言 廿日市の宮田さん 地元児童らに 伝えたい思い 年々強く
終戦直後に広島に入り、入市被爆した宮田英子さん(90)が31日、入所する廿日市市原の特別養護老人ホーム清鈴園で自身の体験を伝えた。これまでほとんど人前で話して...
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戦後80年 広島不屈のモノ語り <4> お好みソース
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25年8月1日
連載・特集
緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎⑥
白髪を短く刈った祖父は目鼻立ちがくっきりして、若い頃は美男だったかもしれない。 祖父の難聴が仕事が原因だったのは、今回、実家を整理してでてきた古い書類で確...
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25年7月31日 連載・特集
基地負担の現在地 普天間と岩国 <下> 「返還」の現状
日米合意29年 見えぬ道筋 沖縄県宜野湾市の嘉数(かかず)の丘に上った。展望台から市域のど真ん中にある米軍普天間飛行場が見渡せる。「世界一危険」といわれ...
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25年7月30日 連載・特集
基地負担の現在地 普天間と岩国 <上> 自治体の姿勢
ともに大規模な米軍基地を抱える岩国市と沖縄県宜野湾市が今月、姉妹都市提携を結んだ。普天間飛行場(宜野湾市)の負担の一部を岩国市が受け入れたのが契機となった。岩...
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25年7月30日
連載・特集
緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎⑤
昭和20年8月、広島と長崎で被爆したとあいまいに伝えられてきた祖父が、実際にはどんな足取りをたどったのか、結局はわからない。 ただ、祖父が広島に原爆が投下...
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25年7月29日
連載・特集
緑地帯 青来有一 祖父が語らなかった広島・長崎④
三菱重工業が、江波地区で広島造船所の操業を開始したのは昭和19(1944)年3月。同時に観音地区では「広島機械製作所」の操業も始めている。 祖父が同じ年の...
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25年7月28日 連載・特集
自利利他 我も他も全て良し 梵大英 <65> 思いはせる8月6日
大切に納められた法名 先日のことだ。ご門徒さんが自宅をリフォームされ、お仏壇を新調することとなり、今までのお仏壇への感謝の法要をお勤めすることとなった。...
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『論』 戦後80年 原爆と日本映画 新藤監督の願い 引き継ごう
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25年8月1日
社説・コラム
社説 被爆80年 記憶を受け継ぐ 掘り起こしと発信 多様に
被爆地広島にとって核被害の実情を後世に伝えていくことは、人類が過ちを繰り返さないための大きな課題である。歳月とともに被爆者が少なくなる中、私たちに何ができるの...
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25年7月28日
社説・コラム
社説 日米、有事で核使用議論 核なき世界に逆行許されぬ
有事を想定した日米両政府のシミュレーション(机上演習)で、核兵器を米軍が使うシナリオを議論していたことが分かった。 日本による米国の核への依存は新たな段階...
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25年7月28日
社説・コラム
天風録 『被爆10年の広島で』
勤め先の昼休みの時間だろう。ワンピースを同僚が縫い上げ、手伝った主人公も一緒に喜ぶ。漫画「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」の冒頭の場面だ。舞台は被爆10年後の広...
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25年7月27日
社説・コラム
社説 被爆80年 資料の保存・継承 守り生かすネットワークを
被爆80年を迎え、広島と長崎で惨禍を目の当たりにした人たちから直接、話を聞くのはさらに難しくなろう。 被爆地から立ち上がった人たちが何を語り継いだか。核廃...
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25年7月26日
社説・コラム
社説 被爆80年 核廃絶遠のく世界 きのこ雲の下の現実を見よ
米軍による広島、長崎への原爆投下から間もなく80年の節目を迎える。被爆地が訴え続けてきた「核兵器のない世界」は、遠のいたようにさえ見える。人類は一体、何を学ん...
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25年7月23日
社説・コラム
天風録 『小さな一歩』
月の石を大阪・関西万博の米国館で見た。55年前の前回万博で披露されたのとは違う石らしい。そこで考えてみる。これまで人類は月から幾つの石を持ち帰ったのかと。星の...
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証言 記憶を受け継ぐ
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ジュニアライター発信
中国新聞ジュニアライターの中高生
[ジュニアライターがゆく] 被爆80年の平和記念式典へ 一人一人の人生 想像しながら


原爆死没者名簿 記帳担い25年目の中本さん 広島に原爆が投下された8月6日が近づいてきました。当日は広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が営まれ、参列者や市民があの日の惨禍(さんか)を胸(むね)に刻(きざ)み、核兵器も戦争もない世界を願います。式典では新たに編まれた原爆死没者名簿(しぼつしゃめいぼ)が原爆慰霊碑に納められ、こども代表が「平和への誓(ちか)い」を読み上げます。被爆80年の節
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