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25年1月31日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1947年12月5日 歌集さんげ「発行日」生々しい修羅場の100首
25年1月31日
「総ぐるみで核廃絶を」 北広島 被団協箕牧さん講演
25年1月31日
「争いやめて」 祈り献花 ガンジー命日 中区の胸像前で大使ら
25年1月31日
「核巡る状況 押し返す」 広島大ペスタロッチー賞 WFC名誉理事長の森下さん表彰・講演
25年1月30日
[ヒロシマドキュメント 1946年] 1月30日 夫亡くした女性の叫び
25年1月30日
広島西南平和衛星RC 被爆80年事業 復興担った企業の役割は 高校生聞き取り 新年度36社
25年1月30日
[戦後80年 遺構を巡る 芸南賀茂] 大空山砲台跡(呉市阿賀町) 空襲で12発発射の記録
25年1月30日
広島・長崎市長 参加見送り 3月の核兵器禁止条約締約国会議 平和首長会議代表団派遣へ
25年1月30日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1947年9月ごろ 米写真誌に「原爆一号」 傷さらし 平和を訴える
25年1月29日
広響率い平和を発信 秋山和慶さん死去 広島の関係者 悼む声
25年1月29日
戦時下の学校 被害語る ウクライナのNGO理事長 物資贈った縁 己斐中訪問
25年1月29日
平山郁夫さん 平和祈る大作 松江で企画展
25年1月29日
核禁会議 政府参加求める 広島・長崎知事 外務省に連名で
25年1月29日
米大統領 被爆地訪問を 広島・長崎市長、米大使館に要請
25年1月28日
目指せ芸能人 広島発祥エスキーテニス 広めるために 創始者一家の宇野本さん親子 息子は「ジュノンボーイ」
25年1月28日
核禁会議に不参加 「怒っている」 ネバダデー 平和公園で60人座り込み
25年1月28日
平和担当の局長級 広島市が新設検討 振興・継承を推進
25年1月28日
平和賞への歩み伝わる 中国新聞読者と報道委 政治資金提言 評価
25年1月28日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1947年夏 物資不足の小学校 支援の文具 米から届く
25年1月28日
復興の歩み展で企業の役割発信 被爆80年機に広島商議所会頭
25年1月27日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1947年夏 平和都市へ歩み出す
25年1月26日
「長生きして証言続ける」 広島で平和賞受賞報告会 被団協ノーベル賞
25年1月26日
「恥ずかしい」「米に遠慮」 核禁条約オブザーバー参加見送り 被爆者ら怒りの声
25年1月26日
どうなる米核政策 核抑止強化の見方も トランプ氏 中露と協議意欲
25年1月26日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 1947年8月6日 第1回平和祭 世界向け発信
25年1月26日
オブザーバー参加見送り 核禁条約 政府が最終調整 与党国会議員を派遣か
25年1月25日
二葉山に軍司令部壕跡 5ヵ所確認 大半土砂で埋まる 被爆翌日 壕で会議「広島復興 原点」
25年1月25日
「浅野文庫」図書館 大半ガラス張り 縮景園望む 広島市 整備イメージ案
25年1月25日
戦禍経験 楽器たちの記憶 音楽朗読劇「借りた風景」 脚本家のフロリアン・ゴルトベルクさん
25年1月25日
平和賞1億5000万円 被団協が活用検討 地方組織配分や海外証言の資金案
25年1月25日
核禁条約批准 政府に要請を 広島県原水協など 県に要望書
25年1月24日
[戦後80年 芸南賀茂] 呉湾の軍艦 ARで体験 地元ホテルがツアー開発 破壊された海上に再現
25年1月24日
被団協平和賞 特集ページに 崇徳高新聞部 被爆者の訴え取材 「全ての世代が継承を」
25年1月24日
安田女子大生の卒論を書籍化 日本政治史ゼミ 「軍都広島の形成」
25年1月24日
復興の記憶 写真でつなごう 戦前や戦後 周南市募る
25年1月24日
被団協 被爆者派遣へ 3月 米の核禁会議に
25年1月24日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 岸本さんの定点撮影 5万戸・人口21万人に 被爆2年後 6割に回復
25年1月23日
保存へ165万円寄付 広島大看護学校同窓会 被服支廠
25年1月23日
被服支廠 10億円計上へ 耐震費 広島県25年度当初予算案
25年1月23日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 被爆翌年 壊滅の街鮮明に 爆心地近く カラー写真現存
25年1月23日
エスキーテニスから平和考える 東広島の高美が丘小 誕生の経緯学びプレー
25年1月23日
エノラ・ゲイ 出撃地視察へ 被爆80年で広島県議会
25年1月23日
[ヒロシマドキュメント 被爆80年] 被爆翌年 カラー写真現存 供養塔や神社 営み写す
25年1月23日
核禁会議参加国 検証「ほぼ終了」 首相、可否言及せず
25年1月23日
核廃絶訴え 集会・署名活動 禁止条約4年 ヒロシマから声強める
25年1月22日
「平和が一番」 箕牧さん訴え 修学旅行生に被爆体験 ノーベル賞授賞式後初
25年1月22日
被爆国の役割 どう果たす 核禁条約発効4年 オブザーバー参加 首相は慎重な姿勢
25年1月22日
被爆者、核軍縮の停滞懸念 広島
25年1月22日
[ヒロシマドキュメント 1946年] 1月 絶えた日記 故郷で再開
25年1月21日
平和教育に尽力 悼む声 黒瀬さん死去 「誠実で何事も親身」
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